「私史」について知る

母と私(旧・松ケ峰遊園にて)

「私史」が生まれた背景:母の想いを本にする

母を葬(おく)って3回忌を迎えるにあたり,
このたび自分史づくりのお手伝いをする「すみれ編集舎」を立ち上げました。
編集を天職として広告や書籍の制作に携わり20余年,初めての試みです。
原点は母の想いが込められた一冊の本にあります。
長くなりますが一人語りにお付き合いください。

私の母は昭和22年に6人兄姉の末っ子として生まれました。
戦争が終わり,復興の兆しが見えていたとはいえ家は貧しく,たいそうひもじい思いをしたそうです。
当時,実の父親は別の所帯で暮らしており,母親に手を引かれて訪ねた別宅の土間で,
生活費を貰うために母親(以下,祖母と表記)と並んで頭を下げた光景を鮮明に想い出せると教えてくれました。
しかし,爪に火を灯す暮らしの中で,祖母は畑仕事に精を出し,
人参のそぼろで桜でんぶを模したり,洋服をこしらえたりと,愛情をたくさん注いで育ててくれたそうです。
母は祖母を心から敬い,愛し,時には甘えて胸で泣き,人生の先輩として慕っていました。

祖母が病に倒れたとき,母はつきっきりで看病をしました。
兄姉は他の土地に嫁いだり,既に高齢だったりしたからです。
母は日記帳を買い,兄姉への報告を兼ねて病状の変化を克明に記録していました。

看病を始めて3カ月後,祖母は晴れた日の午後に旅立ちました。
朝,母が病室に立ち寄って容態を確かめた後,仕事に出た間のことでした。
病院に戻った時,病室は空っぽで,母はその場に立ち尽くしたそうです。
3カ月間,片時も離れず一緒にいたのに,母は祖母の死に目に遭えませんでした。

葬儀の後,私は母に提案しました。
「看病した記録を本にしてみたらどうだろう」

私はすぐに本づくりに取り掛かりました。
当時お取り引きいただいていた印刷会社の営業さんが「内緒でね」と片目をつむり,
印刷を無料で引き受けてくれました。
兄姉に配る分と保管する分,10冊の本が完成しました。

タイトルは「母の看病」。
母の日記をまとめた,わずか32ページの小冊子です。
母は四十九日法要の席で兄姉一人ひとりに手渡しました。
兄姉はみな,あふれる涙を止めようとしませんでした。

「本,ありがとうね。由佳のおかげだわ」
あのときの母の笑顔が忘れられません。

しかし,母は心の支えとなる祖母を無くした後,哀しみに伏せる時間が多くなっていきました。
「わたし以外の兄姉は両親にかわいがってもらっていたのに,父が家を出てからおかしくなった。
わたしも兄姉のようにめいっぱい甘やかされたかった。思いきり甘えたかった」

母が過去を思い出して嘆く姿は「昔の自分」を見ているようでした。
わたしは「自分史を書いてみたらどうだろう」と提案しました。
「たとえば母親との想い出を書いてみたりとか。お母さんなら書けるよ。
自分史を書いてみるといろいろなものが手放せるよ」

それから10年後。わたしは思わぬかたちで母が書いた自分史を読むことになります。

2017年1月9日。
膵臓がんを告知された母は,手術の直前,
ホチキス留めされたA4の文書をわたしと妹に託しました。
「読んだら捨てて。でも,娘のあなたたちには知ってほしいから」

そこには母の人生がびっしりと綴られていました。
「担任の先生が学費を工面するとまで申し出てくれたのに,家が貧しくて高校に進学できなかった。悔しかった」
「だから,娘たちにはお金で苦労はさせまいと必死に仕事をした」
「葛藤はいろいろあった。でも,父と母の娘に生まれてよかった。お父さんとお母さんが大好きだ」

冒頭には「由佳の勧めで自分史を書いてみる」の一文がありました。


「私史」の意外な効用:自分の中にある宝物に気づく

昔の自分ー。
私が自分史がもつ不思議な力を感じたのは、2014年のことです。

実は,私が小学6年生のときに両親の離婚話が持ち上がりました。
「お父さんとお母さんは離婚する。お前はどっちにつくんだ!」
子どもにそんなことを言うなんて,と泣き叫ぶ母の隣で,激昂した父が私を問い詰めました。
「どっちにもつかない。一人で生活する」
泣きたくない。毅然としていたい。それなのにできなくて,私はしゃくりあげながら答えました。
以来,わたしは「自分さえいなければお父さんとお母さんは離婚できるのに」と思うようになりました。

わたしが生まれたからだ。わたしは必要とされていない。わたしさえいなければ。

自分の存在を否定する想いは,現在と未来を蝕んでいきました。

人間関係の挫折を幾度も繰り返し,わたしは41歳になっていました。
未来はコンクリートで塗り固められた袋小路だと打ちひしがれていたあのとき実家に戻ったのは,
今でも何か目に見えない力に突き動かされたとしか思えません。

実家に戻った翌日の夜から,わたしは人生の棚卸しに取り掛かりました。
「自分自身の棚卸しに取り組むと,過去の混乱が一掃できる」という一文を読んだのがきっかけと記憶しています。
自分史というよりは年表に近いでしょうか。
人生の棚卸しのための表を自分なりに作ってみました。
エクセルで,左から年齢,出来事,関連人物,自分のとった言動,その言動に見られる自分の長所,短所,
ありたい姿(こうしていたら良かったな,と思うこと。理想の言動),備考の欄を作ります。
そして,誕生の0歳から生きてきた軌跡を追いかけてみました。

それはそれはひどい年表でした。出来事欄に書き入れたことを幾つか挙げてみましょう。
「カビパン」「毛糸の焼きそば」「安い部屋」……。
どんな出来事だったかわからない,ですって? 
いいのです。わからなくて。誰に見せるものでもないのですから。

年表を完成させるのは,かつてないほどの苦しみでした。
過去のひどい出来事を思い出すのは内臓が凍るほど恐ろしく,勇気を振り絞らなければなりませんでした。
恐怖のあまり叫び,錯乱して髪をかきむしった瞬間もありました。
それでも負けず、困難な作業に立ち向かったのです。

書き始めは短所の欄ばかりが埋まりました。
しかし,書き直したり書き足したりしていくうちに,ほんのちょっとずつですが長所も埋まってきました。
過去の出来事を冷静に観察してみると,自分の思考や行動の癖が透けて見えるようでした。

書き始めて3日目の晩。「とりあえずこれで全部か」と思える年表が出来たとき,不思議と心が凪ぎました。
年表を完成させた達成感なのか,自分を絞り出しきった満足感なのか。
なぜかはわからないのですが,長年取り憑かれていた憑き物がするりと落ちたような気がしました。

両親が寝静まった深夜,ぬるめの風呂に入浴剤を垂らしてゆっくりと手足を伸ばし,
浴槽に入ったまま,グラスに注いだ350ml缶のビールを飲み干しました。
ドライヤーで髪を乾かし,よい香りのするクリームを顔と体に塗って,
ふかふかのベッドで眠りに落ちました。

今回,「すみれ編集舎」の立ち上げにあたり,久しぶりに年表を引っ張りだして読み返してみました。
改めて読んでもとてもひどい年表です。 ひどいこと,恥ずかしいことをたくさんしてきました。
ばかだったなあ,自分。あかんではないか,とツッコミを入れたくなります。

でも。

あのとき,絞り出すように書いたひどく恥ずかしい出来事の数々を読み返して,
もう同じことを繰り返さないようにしようと思いました。
また同じ落とし穴に落ちないようにしよう,と。

そして,自分は存在する価値がない,誰にも必要とされない人間だ,と思っていたけれど,
困難な局面でもそれなりに努力して乗り越え,ささやかでも誰かの役に立つ瞬間があったと,
自分を信じる気持ち=自信が芽生えました。

同時に気づいたのです。

両親もまた愛されたかった子どもであり,娘たちに同じ思いをさせまいと努力してきたこと。
ボタンのかけ違いで夫婦の関係は離れていったけれど,
父も母もたくさんの愛情を注いでわたしと妹を育ててくれたこと。

両親に限らず,多くの人にたくさん助けられてきたこと。
わたしの強み。いいところ。
傷を負ってもくじけず,よみがえろうとするこころとからだ。

わたしは手のひらの中にある宝物をすっかり忘れていたのです。


「私史」を広める理由 :一人ひとりの人生を讃えたい

母が兄妹に手渡した1冊の本。
母がなくなる間際に見せてくれた自分史。
そして,わたしが人生の棚卸しに使った自分年表。

点と点がつながり,自分史がもつ不思議な力に気づいたとき,「私史(wata-shi)」は生まれました。

母は,看病記を通じて,自分の母親との関係を見つめ直していました。
そして,亡くなる前に自分史を書き上げ,「我が人生に悔いなし」と記しました。
わたしは,自分年表を書くことによって,過去を乗り越え,手のひらの中にある宝物に気づくことができました。

かたちは違えども,みな,自分の歴史を,未来を切り拓く力に変えているのです。
行き先に迷ったとき,歩んできた道を振り返って確かめることは,前に進む力に変わるのではないでしょうか。

「私史(wata-shi)」とは,一人ひとりが生きた証です。

わたしは,一人ひとりの人生を讃え,生の営みを手触りのある紙媒体に刻みたいと思いました。
微力ではありますが,「私史(wata-shi)」作りを通じて,
自分の魅力を再発見し,過去を赦し,未来を切り拓くお手伝いができるかもしれません。

一人ひとりの想いを大切に,誠実に。
一人でも多くの方に,私史の不思議な魅力に触れていただけたら,と願っています。

世界でたった一人のあなたの,世界でたったひとつの「私史(wata-shi)」を一緒に創りたい。
そんなささやかな願いを胸に「すみれ編集舎」を育てていきたいと思います。


「私史」の広がり:人の営みすべてが「私史」です

自分史,日記,エッセイ集。
短歌や写真をまとめた作品集や子どもの成長記録,料理が好きな人ならレシピ集など,
生の営みを記録するあらゆるものが「私史(wata-shi)」です。
「私史(wata-shi)」の実例は,制作実績 をご覧ください。

ここまで長文をお読みいただき,ありがとうございました。
あなたと,いつか,どこかで,ご一緒できますように。

2019年4月吉日